監督ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんインタビュー

| 月曜日, 5月 2nd, 2011 | No Comments »

枝廣淳子の環境メールニュース http://www.es-inc.jp で、監督ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんインタビューが掲載されましたのでご紹介します(掲載場所

●ラダックで起こったこと、世界で起こっていること

枝廣:前回お会いしたときに、ヘレナさんは映画を製作中だと伺いました。完成したとのこと、まずは映画製作の背景についてお話いただけますか?

ヘレナ:私が35年前に訪れて以来、ラダックでは経済開発と経済成長の影響で、不必要に失業が生み出されてきました。それまでラダックには失業はなかったのです。さらに汚染という深刻な問題も発生しました。そして、おそらく最も重要なことは、失業によって人々の間にそれまで存在しなかった激しい競争が生まれ、地元の人々の間に摩擦が生じたということです。

ラダックが初めて世界に国を開いたとき、――私は現地の言葉を習得していたからわかったのですが――、西洋的な都市型の消費者文化を美化するメディアのイメージが入ってきました。すると、若者たちは、自分たちの食べ物や衣服、言語、皮膚や目の色を明らかに拒絶するようになりました。

このことは、ラダックではとても顕著でしたが、世界各地で見られることです。これを目の当たりにすることはつらいことでした。支配的なグローバル消費者文化が、自己否定や果てには自己嫌悪を引き起こしていたのです。これが暴力や怒りを増長させます。なぜなら、自分に自信がない人は、他人も大事にしないからです。ラダックでこうした様子を見ていた私は、『懐かしい未来』という本を書きました。

枝廣:そうでしたね。

ヘレナ:数年後に、映画を制作しました。その間に本は50カ国に翻訳されました。人々は口々に「ラダックの話は私たちの話でもある」「ほとんど同じことが私たちの文化でも起こっている」「以前はもっと経済も仕事も安定していたし、自尊心もあり、もっと平和だった。しかし、経済開発のために今では似たような問題を抱えている」と言います。これが世界的な現象なのだ――私はそのことを映画で取り上げたかったのです。

●経済のグローバル化がもたらしたもの

枝廣:経済のグローバル化は、多くの人々に幸せをもたらすはずでした。でもそうはならなかったということですね。

ヘレナ:ええ。経済のグローバル化は、各国が協調する方法の一つとして提案されました。世界各地で交流や取引を増やせば、相互依存とつながりが深まり、平和がもたらされると考えたのですね。

でも実際には、国際的な取引が拡大すると、各国政府はインフラ開発や補助金によって、多国籍企業の支援をするようになったのです。多国籍企業の支援のために、ありとあらゆる方法で私たちの税金が使われました。多国籍企業が巨大化し、さらに力を増すにつれて、途方もない資源の無駄づかいが起こりました。私たちは貿易によってGDPを高めるために、世界中で同じ製品を輸出したり輸入したりしているのです。

また、企業が合併して大きくなりグローバル化すると、失業率が高まります。小さな企業がたくさんあれば、雇用も増えるし、仕事自体もそれほどストレスを生みません。経済活動がより少数の強力な企業や銀行に集中し、中小企業の数が減少していることは重要な問題だと思うのです。

枝廣:政府は人々を幸せにする責任があるのに、なぜ多国籍企業やグローバル化を後押ししているのでしょうか。

ヘレナ:「国際貿易によってGDPを高め、国際貿易に携わっている企業の拡大を支援することが、人々の雇用確保や経済活動の推進に不可欠だ」という、持説というか、信念を持っているからでしょうね。

●世界は前進しているか?

枝廣:前回お会いしたときに、こうしたグローバル化の問題やGDP以外の指標についてお話しました。その後の2~3年の間に世界には前向きな変化が出てきていますか?

ヘレナ:人々が気づきつつあり、議論が増えていることは確かで、大きな希望を感じます。いうまでもなく、金融危機の後には多くの人々が考え直すようになりました。

しかし、各国政府は今のところ、しなければならないことをしていないことは明らかです。メディアでこれらの問題についてさらに議論を深めることが必要です。そうすれば、人々の行動がもっと増えるでしょう。人々が環境を守りたいと思う気持ちを貧困や失業についての懸念とも関連づけることができます。

枝廣:そのとおりですね。1月に「幸せ経済社会研究所」を設立しました。環境活動家はこれまで持続可能性のために活動してきましたが、経済や社会の問題構造にも取り組まなければなりません。これらの問題に取り組まずには、持続可能な未来はやってこないからです。

●経済にとって大事なものは何か

枝廣:「経済成長は持続可能ではないが、脱成長は不安定をもたらす」という経済成長のジレンマがあります。「現在の構造においては、経済を動かし、雇用を創出し、老後の年金などを提供するためには、経済成長が不可欠だ」と言う論に対して、どうお考えですか?

ヘレナ:間違いなく私の考え方は大半の経済学者とは違います。長年、世界でも工業化があまり進んでいない、ラダックやブータンといった地域にも住み、最も工業化が進んだ地域でも過ごした経験から、「経済について考え直すときには、農業や資源の採掘について深く理解しなくてはならない」と思っています。

つまり、生態学的な見方ですね。「私たちの豊かさと私たちが使うものはすべて自然の中にある」ということを十分理解した上で考えれば、自然では「多様性」が必須であることがわかります。

生態系に関する知識と多様性の尊重が必要だということは、真摯に考えてみるとより明らかになります。小さな規模で土地にくまなく手入れしようと思えば、より多くの人を雇用することになります。林業や漁業では、大規模な皆伐や流し網ではなく、選択的に伐採や漁獲をするのです。

工業システムが作りだしたのは大規模な手法だけではありませんが、各国政府は現在、大規模な手法がさらに拡大し、大量破壊の度合いが増すように支援しているのです。教育や医療など、自然や人間と関わるほぼすべての分野では、より多くの人間の働き手が必要です。こうした分野では、人間の数を減らすのではなく、むしろ増やす必要があるのです。

現在、地球温暖化対策として効率的な技術の開発が進んでいますが、実際にはさらに問題が悪化するのではないかと気がかりです。技術やエネルギーによる、雇用のない――人間が使い捨てになる――成長ではないかと。技術やエネルギーは環境にはやややさしいかもしれませんが、人間にやさしくありません。多様性の修復と本当に健全に繁栄する生態系のためには、人間にもやさしくなければなりません。

これに取り組むべき理由の一つは、自然とこのように関わる小規模な農業では、土地や水の一単位当たりの生産量がはるかに多くなるからです。

枝廣:そうは考えない人が多いですよね。多くの場合、規模が必要だと考えられています。

ヘレナ:ええ、多くの人口を養うためには、大きな規模が必要だという認識があるようです。それもわかります。しかし、土地を大農場としてではなく、たくさんの小さな農場として使用すれば、おろかで闇雲な機械の代わりに、働く人間の数は増えます。例えば、リンゴの収穫で、人間なら熟すまでに待とうと半分は収穫しない場合でも、機械ならばすべて収穫してしまいます。

世話をするという人間の知性は、生産性を大幅に向上させます。小さな規模で多様性があると、労働は楽しいものです。機械が便利だと思うと、人々は機械のように立っているだけという奴隷制が始まるのです。人間がまるで機械のように扱われます。しかし、より独立した家族経営で、多様性があり動物もいる農業では、労働は実のところとても楽しいのです。私たちは根本的な方向性について考え直さなければなりません。

枝廣:私たちは、経済や経済学の再構築を行うと同時に、社会の論理も変えていかなければなりません。例えば、多くの人々が「機械や技術は自分たちよりも優れている」と思っています。私たちは、自分で自分のたづなを握り直し、自分への信頼を取り戻さなければならないと思うのです。

ヘレナ:そうですね。まったくそのとおりです。

●鍵は「多様化」と「地域化」

枝廣:映画では、大規模な現代農業と地域密着型の小規模農業の収穫方法が大きく違うというシーンがありますね。まずしなければならないことの一つは、こうした実例やデータを示すことでしょうか。

ヘレナ:ええ、例やデータを集めることは重要だと思います。しかし、正しいことを行うことが非常に難しい経済・社会の構造下では、こうした実例は困難に直面していることを忘れてはなりません。

なぜなら、どこでも、健全な生産活動のための人間による労働は極めてコストの高いものになってしまったからです。子供や病人や土地の世話を自分たちでやろうとすると、コストが高くついてしまう。というのも、私たちは、補助金が与えられている機械と競合しているからなのです。

例えば、ラダックでは、母1人につき、子供の世話をしてくれる人が約10人いました。小さな子供の世話をするために時間を使うことやそのエネルギーはとても大切です。なぜなら、愛され、優しくされた子供は、愛して、優しくできる子供に育つからです。私たちがやらなくてはならない再構築は、私たちの多くに多大な恩恵をもたらすでしょう。

鍵を握っているのは、より伝統的な側面を見直し、新しい地域化のイニシアチブを検討できる大局的な視点だと思います。例えば農業では、さまざまな逆境にもかかわらず、地元の直売所で販売することで成功している農家の例があります。素晴らしいことにこうした直売所では、市場のシグナルによって、大規模なモノカルチャーから多様性へ、農家の移行が促されているのです。農家は経済的にも多様性に関心を持っています。

多様化が進めば、風やあられや病気などの害が発生しても、すべてに同じ被害が出るわけではなくなります。すると農薬や化学肥料の使用量も減らせます。近くの直売所で販売すれば、仲買業者もいないため、売上は時には10倍以上になります。売上が増える一方で、投入物が減ることで生産コストは下がります。

枝廣:日本にとても興味深い話があります。ご存知のように、日本の食料自給率は、カロリーベースで約40%と低いのですが、福井県の食料の県産自給率は60%ととても高いそうです。

ヘレナ:そうなのですか。

枝廣:その第一の理由は、自家菜園で野菜を作る人が多いということです。東京では自家菜園を持つことは難しいですが、地方ならできます。二番目の理由がとても興味深いのですが、作った野菜を近所の人に「お裾分け」するからだそうです。

これは貨幣を介するフォーマルな経済ではありません。伝統的に贈与経済といわれるものです。地方ではこうした地域経済がとても活発なのです。貨幣を介していませんから、GDPの観点から見ればゼロです。でも、地域レベルでは、多くの幸せやつながりをもたらしています。

●現在のGDPは何を測っているのか

ヘレナ:経済成長の意味について根本的に考え直す必要がありますね。人々が自給自足の方向へ向かうとGDPは下がります。生産され、消費された食料の量、それが健康的な食料か、いい住まいか、暖房・照明・調理のために十分なエネルギーがあるか、などを測るものさしが必要です。これらを測り始めれば、成長はかなり違うものになると思います。

枝廣:ほんとですね。

ヘレナ:現在のGDPの測定で測られているのは、「商業化」と「自立の損失」だということを理解しなければなりません。それは、自尊心と幸せの喪失にもつながっています。

枝廣:ええ。

ヘレナ:「健康でいる」って、非国民になることだということがわかりますよ。GDPを上げたいなら、病気でいたほうがいいのです。薬を飲んだり、化学療法をしたり、放射線治療を受けたり、病気のほうがいいんです。花を育てるのもだめです。買いに行くべきなのです。畑で野菜を育てると、GDPが下がります。そして、実のところ、戦争があれば、すべての家を新しく建て直さなければならないですから、戦後のGDPにとって役に立ちます。

もう1つ、汚染がひどいことはビジネスやGDPにとって都合がいいのです。例えば、ボトル入りの飲料水、フィルター、あらゆる清浄装置や技術。本当は、清浄しなくてはならないという状況自体、あってはならないのですが。

経済に関する知識として重要なのは、現在のゆがんだ経済市場では、化学物質や着色料を多用し、包装されて、世界の反対側から長距離輸送で運ばれてくる加工品のほうが、自然な製品より安いということです。影の補助金とごまかしのせいです。

世界の反対側からジャガイモを持ってくるのは安くないのに、粉末にされ、ポテト・チップスになり、着色され、3重に包装され、世界各地に送られたジャガイモのほうが、新鮮でオーガニックの地域で生産されたジャガイモより安いなんて、まったく間違っています。ごまかされた経済なのです。経済については考えるべきことがたくさんあります。

枝廣:まず国が測るGDPと本当の経済成長について、明確に区別したいのです。多くの人が「経済成長=GDP」だと思っています。

ヘレナ:私が分散や地域化を勧めているのは、地域の町や村だったら「自分たちの池がどのくらい汚染されたか」を進歩の指標にするという失敗はしないからです。村の半分の人に仕事がないという状態を進歩だと考えません。現実や影響を受ける土地や人により近い立場になれば、突如常識的にわかるのです。現実が測ってくれます。GDPがおかしいのは、それが抽象的で自然や人間の現実から遠いことが原因です。

真の進歩と成長を測るためには、地域独自の人間のためのものさしが必要です。また、成長を企業の数の増加で測ることにも興味があります。数が減るのではなく、増えるということです。最大手が二番目企業と合併吸収することでより巨大な企業になります。こうした巨大企業が大きくなりすぎて非効率的になり、強大化しすぎるのです。

そうではなく、社会にとって意味のある規模へと細分化していくのです。例えば食料などは、できるだけ家に近いところからリーズナブルな価格で入手したいと人々が思うことは明らかです。

多くの地域では、本物の繁栄の成長には「脱商業化」が含まれます。なぜなら交換がもっと頻繁に行われるようになるからです。

もっとも、お金から完全に脱却しようといっているわけではありません。お金は便利なツールです。税制度もある程度あればいいと思います。共同体として老人や貧しい人たちを助けることができるからです。しかし、私が育ったスウェーデンでは、国が頭でっかちになりすぎて、家族や地域社会から多くの機能を奪い、それが幸せを失わせました。

●「地域化」こそが代替の経済モデル

枝廣:幸せ経済社会研究所を設立したのは、普通の人たちだけでなく、政治や経済の世界の人々も、ますます多くが、現在の経済モデルではうまくいかない、別のものが必要だと話しているのを聞くようになり、一方で、直売所や地域が支援する農業(CSA)、ダウンシフターズなど、地に足のついた事例を目にするようになったからです。一方には警告があり、一方では実践例があります。しかし、これらをつなげるため代替となるよい経済モデルを、私はまだ見つけられていません

ヘレナ:私が推進しようとしていることが、実は、その代替となる経済モデルなのです。根本的なレベルでは、分散化または地域化です。先ほどもお話したように、経済学には生態学についての知識が必要です。すべての命が多様性であり、だれもが個人として、団体として、文化として、人種として、独特なのです。

さらに、世界各地の人々に影響を与えている一つの標準的な消費者モノカルチャーのイメージではなく、その多様性に適応しなければなりません。そのため、人間と生態系のために、私たちは経済活動を多様性に、つまり、異なる文化の現実に適応させなければなりません。

「地域化」は、現在政府が後押ししているグローバル化の方向とは逆です。グローバル化には、ある種のシステム的な特徴があります。第一に、生産物と消費者を分断し、投資家を投資対象から分断します。危険なことです。投資家たちは、自分たちのお金がどこでどのような影響を及ぼしているかをまったく知らないのです。それだけでも、道徳的な実践を行えないしくみであることがわかります。

しかし、距離を短くすれば、自分の行為の影響がわかるようになります。生産者として、消費者として、何か起きているかわかります。そうすれば、より道徳的になるでしょう。

距離が短くなれば、企業が社会の中でより見えるようになり、説明する義務をもつようになります。文化と生態学的な価値が、企業をかたちづくるようになるでしょう。現在は反対に、企業が文化と生態系と政府をかたちづくっています。地域化は、「企業は地域に根付いていなければならない」ということを意味します。多国籍企業ではなく、日本の企業、米国の企業、中国の企業でなければなりません。

●つながりのある幸せの経済学へ

枝廣:人々は抵抗や恐れを持ちがちです。権力のある人たちだけでなく、多くの一般の人々も、年金や雇用を確保するために、貨幣価値によって測られる経済活動の拡大が必須だと考えています。地域化が私たちの目指すべきものと仰いましたが、人々の抵抗や恐れに直面しませんか?

ヘレナ:地域化というと、「昔のように小さな村に住んで、農民になるということでしょうか?」というように連想する人が多いですね。まず、大部分の人々の農村地域での経験は、長年社会的に無視されてきましたし、特に第二次世界大戦の後、農民たちの暮らしはとても厳しく、心理的にも物質的にも取り残されています。村にはお年寄りだけがいて、若者はさまざまな動きがあってワクワクする都市部にいる、ということが多いです。

ですから、地域化について説明するとき、私はまず、活気ある生き生きとした小さな町を作ることは可能だと話します。より健康な農業、林業、漁業を行うことができる場所なら、そこで働く人の数も多くなります。そこそこのお給料と敬意、それに仕事に伴う喜びがあれば、全体像はがらっと変わってしまうと思うのです。

新しい農民による運動がありますし、とてもうまくいき、楽しんでいる例もたくさんあります。私が知っているなかで、いいなあ!と思うのは、「地元の食べ物を食べよう」という運動です。破産寸前で不幸せだった農家が今では繁栄しています。これらはすべて、政府による支援がないのに実現したのです。わずかな支援があれば、素晴らしいことが起きるでしょう。

「もし、今よりも小さな町、あるいは大きな町で同じ仕事ができるとしたら、どちらがいいですか?」という質問をたずねられたら、おそらく大多数の人たちが小さい町に住みたいと答えるでしょう。

地域化によって私たちの暮らしがより豊かになるということを明確に示す方法があると思います。しかも、あなたのお金が減るというわけではないのです。グローバル化の最大の錯覚は、「赤字によってGDPを上げることが私たちに恩恵をもたらしている」という考えです。

私たちは貧しくなっているのです。人々が年金や雇用について心配しているのであれば、この経済についての知識に目を向けるべきです。社会での私たちの安全安心のためには、現在のシステムよりも地域化のほうがよいということに気がつくべきです。

枝廣:国や政府はどうでしょうか?地域化が進み、人々がダウンシフトし始めると、税収が下がると恐れているのでしょうか?

ヘレナ:実際のところ、世界中の政府は、巨大企業を後押ししているために貧しくなっています。巨大企業に補助金を与えても、お金が戻ってきません。多くの中小企業があったほうが、より健全で安定した税収の基盤ができます。間違いありません。

地域化が幸せの経済学であることの理由の一つは、グローバル化された消費文化から離れ、お互いにつながりのある暮らしへと移ることを意味しているからです。これは、多くの人々が認識しているよりもはるかに重要なことです。

幸せの経済学は、お互いとのつながりと、周りの自然や動物や植物とのつながりをもう一度作ることなのです。私たちはそうして進化してきました。この地球上に存在した過去の大部分において、そのように暮らしていました。それが私たちのあるべき姿なのです。つながりがあるからこそ人間なのです。

枝廣:いろいろなお話、とても考えさせられました。ありがとうございました。

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